アイソモカ

知の遊牧民の開発記録

カミュの「異邦人」を読んだ

「タイトルの『異邦人』というのは、『外国人』なのかな? フランス人にとってアルジェリアは外国だから? ちょっと読んで感想聞かせてよ」と言われて借りたので。 昨日寝る前に、150分ぐらいで読んだ。

答えは「『外国人』じゃなくて、『変わり者』じゃね?」だった。

この記事はネタバラシを含みます

世の中の不条理を描いていると言われているが、世の中こんなもんだよな。

ムルソー君の行動と思考のパターンは発達障害者あるあると頷くところも多い。 カミュの時代には、現代のように発達障害が知られていたわけではないだろう。にもかかわらず、ムルソー君の「変わっている」ところのひとつひとつが一貫性を持って描写されているの、できすぎでは? (知り合いをモデルにして描いたというよりは、カミュ自身がそういう傾向を持っていたというほうが納得がいく?)

  • 眩しすぎたりうるさかったりすると、パニックになって、ものごとが冷静に考えられなくなる。色や音に敏感。太陽のせいだったり、彼女との面会のとき集中できなかったり。
  • 暇つぶしに自分の部屋を思い出して、引き出しの中身までひとつひとつ数えていた、恐るべき記憶力。
  • 他人に興味がない(ように見える)。ママンの年齢だってどうでもいいし、彼女が好きだとか結婚したいとか思わないし。自分の中には自分しかいない。
  • 今しかない。後先を考えない。けど、過去のことは、他の人の発言ってこういう意味だったのかなって反芻することもある。
  • めっちゃ考える。自分の中では考え方に筋が通っていて、嘘をつかない。とはいえ、他人に説明するのも説得するのもめんどくさいし、正直他人はどうだっていい。

裁判官とムルソー君のどちらに自分が近いかといえば、ぼくは明らかにムルソー君の側だ。 母の死に対して悲しみを感じないのは、父親を殺すのと同じくらいの罪だという「非変わり者」の主張。そっちもそっちで筋が通っていて。 「不条理」っていうのは、定型発達者と定型発達者の間に生じる摩擦とも言えるのかもしれない。それが鮮やかに描かれている。

人殺しって、そんな特別なことじゃなくて、何かタイミングが悪ければ自分もその立場になるかもしれないんだよな、って、この前Twitterで見たけど、 本当にその通りだと思っていて、やっと社会が追いついてきたか、と感じた。

ひとつひっかったのは、彼女マリイの行動。 騒ぎが起きていて見に行ったら、男が女を殴っていて、警察沙汰になった。その男は彼氏の友達で、一緒に海水浴に行く。 いやいやいや、理由があったにせよ、普通は人を殴る人を警戒するよね? 大好きな彼氏の友達だし、悪い人じゃないって〜って思ったのかな、都合良すぎない?

さておき、

自分の評価は自分でするものだ。幸せとかいうのは、自分が自身や世界をどう見るかで決まる。救いは、これしかない。 この書の大きなテーマはこれだと思っていて、自分にはしっくりきた。