ツイッタのフォロワから興味深い問いをもらい、140文字では答えられなかったので、ブログ記事にします。
前から気になっていたのですが、ピジェさんを含め最近"自称"ADHDの人が増えているようで、あまり世相について行けていない気がしてます。ブームか何かでしょうか。確かに症状として割り切ることで合理的に対処できる感じがしますが、
Twitter @satisfiabiliti
前から気になっていたのですが、ピジェさんを含め最近"自称"ADHDの人が増えているようで、あまり世相について行けていない気がしてます。ブームか何かでしょうか。確かに症状として割り切ることで合理的に対処できる感じがしますが、
— 3-SAT (@satisfiabiliti) November 13, 2022
そもそもその程度のことで心理療法が必要かという気もします。満点が基準のようでややハードルが高い?悪循環にはまるいけないので、放っておいてもいいのではないか、と個人的には思います。あとこれは怒らないで聞いてほしいのですが、
ピジェさんはちょっと日本人離れしているだけでは?と思いました。以前メル友になってくれてた日系アメリカ人(ツイートで言及したことあり)の女性に非常に似たタイプだと思いました。今思うと逆に彼女がやはり日本人的だったのかもしれません。ピジェさんは気丈で元気なのでサンノゼが似合いますよ?
Twitter @satisfiabiliti
めちゃくちゃ興味深い問いをありがとうございます!いっこいっこ検討しますね。
問い
"自称"ADHDの人が増えているのはなぜか
まず、発達障害全体として認知度が上がってきたというのがある。「過剰診断」という問題もあるっぽいんだけど、あとで「治療が必要か?」という点から考えたいと思います。
発達障害の認知度が上がった背景として、コミュニケーション力重視の社会になってきたために、話せる自閉のひとたちのコミュニケーション事故が顕在化したからだという話を聞いて、なるほどと思ったことがあります。ADHDも社会の変化という観点で見れると思っていて、コミュニケーションの部分もそうだけど、多くの仕事がスペシャリスト的からジェネラリスト的になってきたのかな?ヒラ社員が自分自身の管理職である必要性が増えてきた?ゆえに事故が起きやすくなったのでは?という仮説を考えています。社会の変化により、問題が顕在化したとともに、認知度が上がった側面があるのではないか。
認知度が上がったことで、家族や職場や学校に「この人はこういう性質(特性)があります」という取説みたいなものとして提示しやすくなったために「自分もそれです」と言う人が増えたのかもしれません。
「自称する」には、精神疾患全体として、たとえばうつ病なども、スティグマ、差別や偏見が減ってきたことも関係しているのかな?と思います(統合失調症とかはまだまだ厳しそうですが)。「うつ病は心の弱さ」みたいな風潮が、「風邪や骨折のように、だれでもなりうるものだ」と変わってきた。「精神科に通院しています」「睡眠薬を飲んでいます」と言いやすくなったと思う(住んでる地域や年齢などにより、違いはあると思いますが)。 発達障害も精神疾患のひとつとして扱われることもあり、たぶん似ていて、「ADHDは怠け者の言い訳だ」と言う人もいますが、「そういう人もいるよね〜」になってきてるのではないか? ゆえに、自称しやすくなったのでは?という印象です。
さらに、TikTokとかで「ADHDあるある〜」みたいなので笑いをとる人もいる。 一般に、ささいな失敗を笑いに昇華するのが精神の健康に良いときもあり、そういう人たちを集めるハッシュタグとしての効果もあるのかもしれません。笑いをとる場合だけでなく、まじめに対処法を相談する場合でも、ハッシュタグとして使ったら、仲間を見つけやすい。
そしてこれは、「治療が必要か?」とはちょっと違う観点だと思います。ある種のアイデンティティのようなものなのかもしれない。や、ほぼ確実にアイデンティティとして使ってる人はいるでしょうね。
ピジェがADHDを"自称"するのはなぜか
「自称」を、「診断」と対比することもありますね。しかし、医者や病院/クリニックにより、診断に対する方針は異なります。
じぶんが通ってる精神科では、「ADHDと思って対処していきましょう」「もし働けなくなって行政のお世話になることになったら、診断をつけますね」と言われています。とはいえ、ADHD治療薬を飲んでいて、自立支援医療という行政サービスを利用しており(自立支援医療を申請/更新するときは医師の診断書が必要なので、診断書は封をされていて自分は中身を見ていないですが、中にはADHDって書いてあったのではないでしょうか?)まあ実質ADHDと診断されてるよね、と思います。
一方で、WEBイベント「青年期・成人期における発達障害のある人を誰一人取り残さない社会に向けて」で、本田秀夫先生が話していたことを思い出しました。自分探しの一環として精神科を受診する人もいる。そういう人は、発達障害の診断がついて納得して、医療を必要とせずに生きていけることもあって、それでもいい。というような話。
じぶんの主治医とは方針が全然違いそうで、面白い。
「自称」を、「診断」と対比することを考えると、一般に、アイデンティティにはそういう側面があるんですよね。「おまえにはそれを名乗る資格がない」という主張と、だれかにそれを決める権利があるのか? みたいな問い。特にジェンダーで闇深そうですが。
さて、名乗る資格があるのかどうかは置いといて、理由です。
わりと幼稚園時代から、「じぶんはなぜか他の人と異なる振る舞いをしてしまうことが多い」と感じていて、その後、「よくわかんないけどなぜかうまくいってない」「他人のアドバイスでは解決できない問題が多い」と感じることが増えてきた。
2年半前に精神科を受診するまで、発達障害なのかも? いや、怠けている言い訳なのでは?と、定期的にぐるぐる悩んでいたという経緯があります。経緯は、「怠け者の根性なしではなかったっぽい - アイソモカ」にも書いた。まあ、今は「怠け者の根性なしで、何が悪い?」と思っていますが、大事なのはそういう形容詞じゃなくて、どうするかという動詞だと思うんだよね。
で、ADHDを名乗る理由をいくつかまとめると、
- ADHD治療薬を飲んでいる
- じぶんにはADHDがあるとみなすと、色々と不可解だった現象が説明できるとか、問題解決につながりそうみたいなメリットを感じられる
- ニューロダイバーシティをやっていく(取説のない機械のつまみをひねる - アイソモカ)
- ADHDをハッシュタグ的に使い、仲間を見つけたい
アイデンティティ的なやつ、じぶんをそれとみなすことにより、何かが説明できるとか、問題解決につながるみたいなメリットが感じられなければ、じぶんをそれとみなすことができないという頑固さ?性質?みたいなのがあるんだけど、なんかもっと人間は「それだと感じる」みたいなのでやってそう。
ニューロダイバーシティに関連して。
なんか、発達障害のある人がみてる世界みたいな話、autisticなひとたちの内面の記述がすごい興味深いんだけど、ADHDなひとたちの内面はなんかない気がしています(「こんな失敗しちゃった!」みたいな外側の記述になりがち)。
フォロワが「注意乱発」という話をしていて、そういうのが増えたらいいな〜と思いました。
「ぼーっとしている」「集中してない」というのは外から見た印象であって、それは中の人にとっては、何かに気を取られてそのことに集中している状態で、集中は集中だと思われる。社会的にいい気の取られ方を集中と呼び、不適切な集中を注意が散漫だと呼んでいるだけのことなのかもしれん。
— zeeksphere (@zeeksphere) September 9, 2017
ヘタに社会性があると、外から見た印象にとらわれすぎて、中の人にとってどうなのかをおろそかにしがちなんだけど、自分の理性がよしとする振る舞いをするためには、中から見てどうなのかをしっかり把握してくことが重要なのでは?と思う。
中の人にとってどうなのか記述したい。それは自分のためでもあるし、似たような世界を見ている人の助けになるかも?という思いもあります。
心理療法が必要なのか
そもそもその程度のことで心理療法が必要かという気もします。満点が基準のようでややハードルが高い?悪循環にはまるいけないので、放っておいてもいいのではないか、と個人的には思います。
Twitter @satisfiabiliti
「悪循環にはまるといけない」というのはマジでそうで、放っておくと悪循環にはまるから、悪循環にはまらない/はまっている状況から抜け出すために、心理療法が助けになる。
たぶん、「自分はADHDではないか? ADHDを治さなければ」と思う人を想定しているのかなと思います。まあ、そういう人もいるかもしれません。
でも、じぶんも、たぶんほかの人も、むしろ最初に「よくわかんないけどなぜかうまくいってない」「他人のアドバイスでは解決できない問題が多い」ということが続発し、精神を病む。そこから、「自分はADHDなのではないか? じゃあADHDへの対処法をやってみよう」といって、薬物療法や心理療法を試すことになる。
「満点が基準のようでややハードルが高い?」っていうのは、実は、放っておくと満点を目指しちゃうんですよ。だから、いい感じの評価基準と目標を設定するために、心理療法が助けになる(という使い方をしなきゃいけないと思う)。
じぶんも最近、これまでずっと「思慮深く慎重で、計画的に物事を進められる」みたいな目標を掲げていたな!!!と気づいたことがあります(インチュニブ動力仮説 - アイソモカ)。これは、自分も最初は「ADHDを治す」というのに近い目標を設定していたってこと。でもそんなの、達成不可能だし達成すべきでもないとわかりました。大事なのは病まずに全力を発揮できること。そういう気づきって大事っすよね。
で、「全力を発揮できる」という観点から、じぶんはまだまだです。
以前あった「生きていてもしょうがないな」みたいな気持ちは消えたし、悩まずに風呂に入れるようになったので、精神状態は良くなっているんだけど、直近では、仕事をサボってしまって困ってる。在宅勤務なので仕事してるふりがなんとなくできちゃってると思うんだけど、これ続けてたらクビになるか、転職しようと思ってもスキルがなくて無理ってなるな〜という危機感だけがあります。なので、どうにかする方法を探しています。
ピジェはサンノゼを彷彿させる人柄らしいが、どう思う?
まず、能力、それから、気分について書きます。
全力を発揮できて世界で活躍できたいよぉ〜〜〜!!!
天然かしっかり者か判らない人が活躍できる場所って、いいですよね。「時間は守れないけど独自の発想で問題解決できる」「会話の空気は読めないけど綺麗なコードを速く書ける」とか。これって、発達障害が「能力の凹凸が激しい」と言われることがあるのと関連してると思う。
じぶんも暗算ができないけど微分積分はできます、みたいなところがあり、知能検査(WAIS)を受けたら点数が高いところと低いところが結構あった。
だから、たとえば、自分をよく評価してくれる会社に転職するとかは全然アリなはずです。
最後のはちょっと違って、サンノゼを彷彿とさせるお人柄ということですよ?これは別に伝え聞いた話で、ご存知かもしれませんが、サンノゼは郊外で環境が良い割に近年お金持ちが増えてて、天然かしっかり者か判らない人が多いらしいです。
例の米国の女性は浮き沈みが激しく、こちらは退屈しのぎの相手をさせられた感もなきにしもあらずでした。下手な英語が逆に新鮮だったようです。
その上に時差でちょうどいい時間帯が少なく、返しが遅かったのでよく文句を言われてました。落ち込みやすいのか気が強いのか解らんなあと思ってました。
余計な事を書きましたがご参考まで
Twitter @satisfiabiliti
了解です!なるほど、似てそうですね。(しかし今の自分の気の強さ/外向的な部分はここ2ヶ月ぐらいで薬で得た部分なので、本体はもっと臆病で、どうしたものかな〜というところはありますね)
Twitter @xiPJ
あと、これも言い忘れましたが、その日系人の女性もかなり有能な感じで、場所柄もしかしてgoogleのスタッフではないかと思ったものです。ITやガジェットにやたら詳しいほか、タグやJavaScriptスラスラでした。(即興で作ったサイトを見せてもらいました。)
Twitter @satisfiabiliti
「デキる人っぽい側面とデキない人っぽい側面が混在してる」みたいなのが、たぶんありそうですね。
一方で有能な女性の話には微妙な気持ちになるというのがあります!(ちょっといちゃもんっぽいですが)
Twitter @xiPJ
ボ「女性だからどうとかってことはないからね」
— ピジェ (@xiPJ) November 11, 2022
ピ「はぁ」
ボ「以前うちにいた〇〇さんだって優秀で〜」
ピ「〇〇さんの話をするのは、私と〇〇さんを女性だと思ってるからですよね」
ボ「は?何言ってるか分からない」
ピ「私は女性だからどうとは思ってないですが、ボッスさんは思ってるのでは?」
あー、そういう意味じゃないですよ。
単に凄く似ておられる感じがしたので。焦点はADHDへの疑問です。
例の女性には初めマウントを取られているように感じましたが、英語以外にも本当にいろいろと勉強になったので、途中から得した気分に変わりました。しかも年下の美人さんでした。笑
Twitter @satisfiabiliti
なるほど。ADHDへの疑問っすね!
ここに書いた「『たまにぶっ飛ばす個性的な人』に近づいたので、そういう感じでやっていける範囲に収まればいいんだなぁ」に近いのかもしれません。
インチュニブ動力仮説 - アイソモカ
Twitter @xiPJ
ピジェが気丈で元気になったのはつい最近です。ここ2ヶ月ぐらい。
先日、友人にも話し方が変わったと言われました。以前はもっと臆病そうに話していたらしい。
2年前に出演したポッドキャストのリンクを貼っておきます。臆病そうかもしれない。
「落ち込みやすいのか気が強いのか解らんなあ」がわかって笑っちゃったんですけど、両方とも真なのでは?
気分の浮き沈みが激しいのは、短期的(数秒から数時間)と長期的(1日〜数週間)な気分の変化がありそう。ADHDのお子さんはかんしゃくを起こしやすかったり、大人も双極性障害を併発しやすかったりすることもあるらしいし、頭の中での情報整理の問題とか、セロトニンとか、なんか関係がありそうな気がします。たぶん。
それから、気が強い件、ちょっと気になるのが、「気が強い」って主に女性に使うんですかね? という印象がありますが、どうでしょう。同程度の積極性や攻撃性を見せたときに、(いいか悪いかは別として)性別により違う印象を与えたり、評価が異なったりするということはありそうです。積極性や攻撃性は「男らしい」性質とされているわけで、そういうのが気になる。
そして、関連してるかどうかわからないですが、ADHDには性差があって、女の子(女性)は不注意優勢型が多くて、多動性・衝動性優勢型は男の子(男性)が多いと言われているというのもある。生まれつきの性質、性ホルモン、育てられかた、外からの評価、本人の評価、と、なんか複雑に関連していそう。色々と気になりますが、特にまとまっていません。
ちょっと脱線しますが、じぶんは学生時代に「実験室で作業しているとすぐ疲れてしまい研究が思うように進まない」という問題があり、指導教官に「女性は体力がないから(仕方ないが…)」と言われていました。数年後にわかったところによると、実験室の真空ポンプや装置のファンのように音がうるさすぎる空間では、頭がクラクラしてくる(聴覚過敏)が原因で、そういう疲れは耳栓で防げるとわかりました。もっと早く気づきたかった。ジェンダーが本当の解決策を遠ざけるという意味で有害だったと考えており、ジェンダーに対する恨みの理由のひとつです。
ぼくの場合はジェンダー・アイデンティティで顕著なんだけど、「じぶんをそれとみなす」ことによって、かえって説明が複雑になるとしたら、それはオッカムの剃刀案件ですよ!」って思ってるふしがあるんだよな。そもそもこういう考え方になる時点で、自分の性別を認識する機構が少数派的だと思うけど。
— ピジェ (@xiPJ) November 13, 2022
まあ、色々あるんだけど、大事なのは、不可解な現象を説明し、問題解決につなげることですね。
これでADHDへの疑問に全部答えられているでしょうか。