アイソモカ

知の遊牧民の開発記録

人生は登山で、初心者の学びと戸惑い

ピジェベント Advent Calendar 2022 - Adventar 17日目

たとえば山で、大自然の景色や空気に浸ることがある。計画を立てて登りきり達成感に浸ることもある。どちらも登山の楽しみで、登山を楽しむ方法はひとつではないし、両方の楽しみを味わうこともあるだろう。

山の斜面に生えた低木に針のような氷がついていて、陽の光に照らされてキラキラしている。その横に登山者。 2016年に谷川岳に登ったときの写真。

同じように、人生の楽しみかたにもいくつかあると思う。たとえば、人と話すとき、最近こんなことがあってこう思ったという話を聞いて、他人の経験を頭のなかでシミュレートして追体験するようなとき。あるいは、最近こんなことがあって!と人を笑わせようとするとき。

このふたつの楽しみを一般化すると、外界が自分に働きかけてくるのを楽しむ場合と、自分が外界に働きかけるのを楽しむ場合だと言えるだろう。

このことを考えたのは、ADHDに処方される薬「インチュニブ」を飲み始めて、頭のなかの様子が変わったのがきっかけだった。これまでの人生、外界が自分に働きかけてくるのをかなりエンジョイしてきた
しかしインチュニブを飲んで、(アドレナリンか何かの脳内伝達物質の流れかたやバランスが変わったせいだと思っているが)外界に働きかける快感に気づいた。こんな楽しみ、知らなかったよ!

これらの楽しみには、どちらにも、テクニックが必要だ。

「外界が自分に働きかけてくる」といっても、自分がうまく受け止める必要があるから、ぼんやりしているわけではない。先ほどの例でいえば、他人の経験を聞きながら頭のなかでシミュレートしようとするとき、必死で考えたり、情報が足りていなかったら質問するというようなことがあるだろう。テクニックがなく下手すぎたら「勘違いしてるヤツ」になってしまう。
自分で言うのはアレかもしれないけど、私はこのテクニックには自信がある。地域日本語教室(主に外国人市民が日本語を学ぶ場所)で学習支援ボランティアをやっているとき、学習者の言おうとしている何かを汲み取って、それをいかに日本語で表現するか? という力が問われることがある。そういうことを試行錯誤していて、「わたしのことばを一番わかる日本人はピジェさんですよ」と言われたとき、とても嬉しかった。

「自分が外界に働きかける」ということにも、テクニックが必要だ(こちらのほうがわかりやすいかもしれない)。話の盛り上げかたや、オチのつけかたを工夫する必要がある。下手すぎたら滑るし、「何言ってるかわからん」と言われる。
私は仕事でプレゼンを作って上司に見せると「何言ってるかわからん」と言われがちだ。

みんな人生で、両方やっていたり、片方に重点を置いていたりするのだと思う。
しかし、じぶんがインチュニブを飲んで8:2から4:6ぐらいに変わったような気がしているということは(数字はかなり適当だが)、たぶん人によって「デフォルト脳みその構成」が違っているのだろう。そして、デフォルト脳みその構成は「話の上手さ」みたいなものに影響しているんじゃないか? と考えた。言い換えるなら、「外界に働きかける楽しみを味わいたい」という欲が強い人のほうが、外界に働きかけるテクニックを磨くのに有利でしょうね!ということだ。

外界に働きかけるテクニック、具体的には、話の上手さや、根回しの上手さ。これは、外界が自分に働きかけてくるのをエンジョイすることが多い人々にとっては、身につけるのにかなり苦労するものなのではないだろうか? (少なくとも私はそう)
しかし、仕事をしてお金を稼ぐには、おそらくどんな職種でも、このテクニックは必要だ。なんかもう、脳みそからして、全然フェアじゃないんだなと、怒りが湧いてきた。

そうはいっても、じぶんの脳みそが「外界に働きかけるテクニック」を習得しやすい構成になったんだな〜というのは、私にとって利益がある。人生の楽しみかたが増えたというだけではなく、このテクニックを磨いたら、もっと稼げるかもしれないのだ。登山の初心者が、登山の計画を立てたり装備を整えたりすることを学ぶように、外界に働きかける方法を学びたいと思った。だから、フェアじゃないという怒りとともに、そういう脳みその構成になってラッキーだな!とも感じている
そして、この相反する気持ちとどう付き合っていったらいいんだ? と、戸惑っている。