アイソモカ

知の遊牧民の開発記録

正直さこそ… と思うなど

Twitterやブログを読んだり書いたりしていて、論理的な組み立てがうまくいかないと読み手はついていけなくなるし、負の感情が強すぎてダメージを受けたくはないが、書き手の感情を見て「「「それな」」」ってなることもあるよなとか、あれこれ考えたあと、でもやっぱ正直さこそ… と思うなどしている。 https://twitter.com/xipj/status/1606724103939162112

正直さって何で何が良いのかというような続きを連続ツイートしようと書き始めたら、長すぎになりそうだったので、こっち(ブログ記事)にした。

論理的な/冷静な/感動的な…を上手くやってる文章が読みたければ、Twitterや個人ブログよりも本(専門書、一般書、小説など)を読んだほうがいいはずだし、書くときだってそこは目指してないかもしれない。

じゃあTwitterやブログを読むときに何を求めてて書くときに何を目指してるかというと、私は正直でありたいと思ってるし、他人の正直さに魅力を感じるんだよなぁ〜って思った。人は矛盾する思いを抱えることがあり、いつも冷静に見える人にも逆鱗があるかもしれなくて、そういうのを正直に曝け出してるとこを見るとワアァ〜ッ(良さみ)ってなるんだよな。強い。

「正直さ」って書いてるのは、読んでいて中の人の生身の部分を感じたとも言えるのかも。

それが実は「正直者を装っている」だけの可能性もあるけど、それはそれでべつにいいっていうか、すくなくとも「中の人の生身の部分を感じた」という自分の感触は感触だろ?という気がする。

書くとき、私はいろいろぶちまけすぎて、検討され尽くしていないアイデアや整理できてないアレコレを「正直に」そのまま書いている場合がしばしばあり、自分でも「危険かよ」「伝わるのか?」って思ってるんだけどなんか総合してうまくいってるといいなと願っている。

正直なつもりでも勘違いしてるとか、自分が自分を騙してることだってありえるけどな。

これってアリストテレスの「ロゴス・パトス・エトス」の話に関連してるかもしれない?(よくわかってないが)(最初その話を見たときに、3つでいいの?ほかにはないの?って素朴に思ったんだったわ、そういえば)

ようやくねむみがやってきた。