アイソモカ

知の遊牧民の開発記録

ALTテキストの楽しみと課題

Metaのテキスト系SNS、Threads(スレッズ)でとうとうALTテキスト(代替テキスト)が書けるようになった。以前は画像を投稿することはできたが、ALTテキストを書く欄はなかった。書けるようになったのは嬉しいが、デザイン上、自分や他人の投稿した画像に書かれたALTテキストを視覚的には読むことができないので、書きがいがあまり感じられず、不便だなぁと思っている。

Instagramでも、ALTテキストを書くことはできる。しかしここでも、視覚的には読むことができない。他のSNSアプリ、X(旧Twitter)やマストドン、Bluesky では、ALTテキストはユーザが書けるだけでなく、視覚的にも読みやすいデザインになっている。それと比べると、Threads や Instagram を提供する Meta社は、アクセシビリティの優先度を低く位置付けているのだろうか? と疑問に感じた。

ALTテキスト(代替テキスト)は、視覚に障害がある人などの音声読み上げユーザが、画像の内容を把握するために使用する。また、昔、インターネット回線が遅く、通信量に制限のあった時代には、(視覚に障害のない人でも)画像をダウンロードせずとも内容がわかるメリットは大きく、その名残でもあるらしい。現代であっても、通信障害や災害などの状況下では、通信に制限がかかり、画像の読み込みが困難になる状況は想像できる。ALTテキストは誰にとっても有用なものと考えられる。

ALTテキストの有用性はそれだけではない。SNSに投稿される画像(特にスクリーンショットなど)には、解像度が低かったり文字が小さかったりするものもある。また、イベントのお知らせなど、カラフルだったり凝ったデザインだったりする画像では、中に書かれた情報を読み取るのが難しい場合もある。私は視覚的にごちゃっとした中から必要な情報を見つけるのに苦手さを感じるほうだ。そんなとき、大きなはっきりとした文字でALTテキストを読むことができると、非常に助かる。

さらに、SNSの投稿者がALTテキストを書く場合、書き手の視点を味わうことができるのも魅力だと思う。たとえば、X(旧 Twitter)で、フォロワーが自宅の猫の写真を投稿していた。私はそれを見て「猫だ!かわいいな〜」と思った。そこに書かれたALTテキストを読むと、猫の瞳が細くなっていることが説明されていて、たしかに、言われてみればそう!と気づいた。猫と日常的に接する人は、猫の表情の変化をよく知っているので、それがALTテキストにも反映されるのだ。同じ画像でも、着目する部分は人それぞれなんだよね。そのように、ALTテキストを通して自分にはなかった視点で画像を見ることができるのは、SNSの楽しみのひとつで、刺激的で面白いものだと思う。

自分が投稿する場合にも、ALTテキストを活用したいと思う。SNSのユーザは表現者や情報発信者でもある。自分の発信する情報をより多くの人に受け取ってもらうために、ALTテキストを書きたいと思う人は多いのではないか。SNSを内輪で楽しむツールとして使う場合もあり、そのときは「より多くの人に受け取ってほしい」とは思わないかもしれない。しかし、常に選択肢が提供されることは大事だと思う。したがって、ALTテキストを書く選択肢も、読む選択肢も、ユーザにとって当然の権利として、SNSサービス提供側に要望したい。なかったら冒頭のように文句を言ってしまうんだよな〜。

現状、大体のSNSでALTテキストを書けるようになってきた。視覚的に読むことのできる場合も(Instagram や Threads を除けば)多くある。また、ALTテキストを記入する欄には「視覚障がいのある人向けに代替テキストを書く」といった簡単な説明が書かれている場合もある。基本的には、望ましい状況だと思う。

一部のユーザが、SNSの文字数制限の突破手段や検索避け、ネタバレ回避などのために、ALTテキストに無関係な文章を載せることがあり、本来の意義を理解していないと批判されている。そういった課題もあるが……

一方で、ALTテキストは、人間だけでなく、検索最適化などのために情報収集するボットが「読む」場合もある。それらの技術により、ユーザの利便性が向上することもあれば、広告収益を増やすなどの企業利益にもつながることもあるだろう。SNSは、営利企業が提供するサービスである以上、ユーザの投稿を利益に繋げるのは一般的なことだ。また、昨今の生成系AIの普及を背景に、自分の絵や画像がAIの学習に利用されることに懸念を示したり、抵抗を感じたりする人もいると聞く(AI開発にALTテキストがどの程度利用されているのかは、知らないけど)。

……といったことを広く考えていくと、「ALTテキストは視覚に障害のある人の助けになります」という趣旨のシンプルな説明は、本来の目的を端的に表していて理解しやすいものの、物事の一面しか表していないように思える。

実際、SNSでは、マイノリティの権利や反差別について発信している人ほどALTテキストを書く割合が高いという印象があり、このような説明は人の善意や倫理観に訴える力があると感じる。しかし、善意や倫理観に基づいてALTテキストを書く人は、自分の意図した以外の目的にもそれが利用されていることを、どう受け止めるのだろうか? 信頼に関わる問題と捉えられるかもしれない。SNSサービス提供側は、ユーザが入力したデータをどのように利用するかについて、より十分な説明をする必要があると思う。

SNSにおけるALTテキストは、誰にとっても有用なもので、さまざまな状況にある人への情報提供という本来の意義に加え、書き手の視点という追加の楽しみとしても、活用が期待される。そのために、アプリのデザインや、データの使用目的に関する説明について、SNSサービス提供側の課題もあるように思える。

本の紹介:「目の見えない人は世界をどう見ているのか」伊藤亜紗 (光文社新書)
この本で読んだ、見える人と見えない人みんなで美術館に行って絵について話すイベントで、障害が触媒になってコミュニケーションが面白くなる……という話は、この記事で私が書いた猫の画像についてのエピソードに関連していると思う。