ええかっこしぃ(ええ格好したがりな人)、緊張しい(緊張しがちな人)みたいに、重箱隅突きぃ(重箱の隅を突きがち)なピジェです。
もし自分が求めるほどのタスク処理能力が自分にないなら、人生をやるためにはあらゆるものを諦めるしかないのか?
ぼくの精神不具合っていうのは、自分の能力の低さを受け入れられないことに起因するのか?
……みたいなことを考えてたんだけど、どうやらむしろ「諦める」っていうより「大事じゃないところに時間と気力体力を注がないようにする」というのができたらいいっぽいんだよな。
自分が対応できる以上のタスクを抱えてアップアップしてしまうの、自分の行動を観察できていない、キャパがわかってない、頭の中が散らかりすぎて何が本質的で何が本質的でないか分かってない、などがあって、たとえば重箱隅突きを早期に阻止できたら良いよね(遠い目)などがある。
— ピジェ/𐀠𐀋 ピージェイ (@xiPJ) November 30, 2021
こういうのを頭で理解するのと実践するのの間に、我々はドチャクソ広く深い溝があって、定型発達の人々がジャンプすれば渡れるのを、我々は指をくわえて見ているしかない…… みたいなところがあるのでわ?と思うね。
つらみを出力すると、新人研修か自己啓発本みたいなことを言われがちで、わりとイラッとしてしまうんだよな、そういう問題じゃないんですよって。
追記:たとえば『朝その日やることを整理しましょう』って課題があったときに、緊急度と重要度で分類!GTDをやるといい!とかはここでは全く問題じゃなくて、それ以前に「どうやって毎朝思い出すんですか」「リマインダーを無視してしまうんです」「重箱の隅を突くのに熱中していると、"その日やること"の存在を忘れるんですけど…」「行動記録をつけようとしても気づいたら忘れてるんです」とかが問題。新しいツールを導入したりノートを新調したりすれば、1週間ぐらいはできるんだけど。タスク管理の必要性は分かってるし、このままじゃダメだっていう危機感だってモリモリなのにね。
なので、発達障害が疑われるパーソンが困りを吐いたときに、新人研修みたいなことは言わないであげてほしい。