アイソモカ

知の遊牧民の開発記録

世界が明るくなったり暗くなったりする話

先日、世界が明るくなったり暗くなったりを繰り返している話をしたら、双極性障害erに「それそれ!!」って完全に理解されて嬉しかったので、その話を書こうと思います。

自傷希死念慮に関する話が含まれるので、ご自身の精神への影響にご注意ください。

目次

世界は美しい

@xiPJ: 世界は美しい、たとえば道を歩いているときに、変な鳴き声の鳥がいるな!アッ花が咲いてるこれはオカンが好きなやつだ風が気持ちいいなあの看板の文字の掠れいとをかし……みたいな、ナマの世界を楽しんでるやつなんだけど、たぶんこれって自分が注意を向ける対象を選べず全部に襲われて圧倒されてる?

時々、世界が明るく美しくなる。ただの日常なのに遠くに見える山や雲が美しく、道に生えている普段は見向きもしない草ですら愛しく見える。美味しいものが食べたくなるし、食べるものは美味しい。音楽を聴いたり、小説を読んだり、散歩に出たりすると、心の中でエモみが爆発しそうになる。いろいろとアイデアが浮かんできてソワソワし、誰かにしゃべりたくてしょうがない。

そういうのが(このツイートをしたときは注意欠如の一種だと思ってたんだけど、)(ぼくに関していうと)どうやら躁鬱の躁らしいということがわかってきた。気分に関する精神の不具合である。

これまでに書いたことと、経緯

以前のブログ記事 怠け者の根性なしではなかったっぽい - アイソモカ に書いたように、発達に関する不具合に対処するために精神科に通っている。

気分の浮き沈みについては、 新しいことに飛びつく自分と、日常をやりたい自分のケンカ - アイソモカ にも書いた。

 

ストラテラというADHD向けの薬を飲み始めて半年後ぐらいに、どうやら自分にはヤバいくらい気分の浮き沈みがあるようだなと思い、医者に相談した。ストラテラを飲むことにより頭の中の混沌が少し整理され、自分の精神状態をある程度は把握することができるようになったのだろうと思う。

毎日(しばしば忘れつつも)その日の気分を1〜5点で記録し続けて数ヶ月後、やはり気分の浮き沈みがありますねということになり、炭酸リチウムも飲むことになった。

世界が明るくなったり暗くなったりするというのはどういうことか

冒頭に世界の美しさについて書いたが、読み手のみなさんに伝わっているのだろうか。

気分に関する不具合がない人にわかりやすいたとえとしては、海外旅行に行ったときの感覚が近いかもしれない(ずっと本州に住んでいる人なら北海道や沖縄とかでも)。現地の空港に着いたときからワクワクし、外に出ると見たことのない木が茂っている。すれ違う人々や店の看板も見慣れない雰囲気がある。そういう現地の人には些細かもしれない物事に、いちいち興味をそそられる。そして、旅行だしね!と言いながら普段は食べないような豪華な食事をしたり、ちょっと高くても「せっかくだし」と言いながらおみやげを買ったりもする。知らない人に話しかけてみるハードルも普段より低くなる。何か失敗しても、「旅の恥はかき捨て」というから大丈夫だ。それに、しばらく休みなので、仕事の心配事なんか忘れていいんですよ。そういう気分に似ていると思う。

 

じゃあ、ずっと世界が美しいままだったらいいじゃんって思うよね。けど、世界は突然美しくなり、いつの間にか暗くなっている。

暗い世界はどういう世界なのか。朝、ベッドから体を引き剥がして仕事に向かう。集中できないし解決策も思い浮かばず、捗らないのがつらい。食事の時間になっても特に食べたいものもなく、食べてもあまり美味しくない。仕事が終わってもやりたいことがない。寝る前にシャワー浴びたいんだけどなあ〜と思いながら気力がなくて浴びれずに数時間が経過し、仕方なくそのまま寝る。全然楽しくないのに辛いことだけは辛い。

こういう、暗く色彩のない世界で、毎日寝て起きてしんどく年月だけ過ぎていって、そのうち死ぬのかな〜と思うと、そんなの耐えられないもう人生終わってくれ…という気もしてくる。枕に顔を埋めて号泣したり、仕事帰りに高いビルを見上げて『あの屋上ってどうやって上がるのかな』と思ったり、赤信号で目の前を車が横切るときに『ここでぼくが走り出したらあの車は止まれるんだろうか』と考えたりする。これがぼくの躁鬱の鬱。

 

なお、世界の明暗の制御は、不可能である。

制御できないばかりか、ぼくは世界が暗くなったことに気づくのが難しい。明るくなったと気づいたときに「そういえば今まで暗かったな」とわかるほうだ(先日話してた双極性障害erは、鬱の時は気づくが躁の時は気づかないと言っていたので、人により違うっぽいけど)。

世界が暗くなったことに気づかなければ、暗い世界がデフォルトだと感じるのは自然なことだと思う。世界が暗く「人生、辛いことばかりで何も楽しいことがないし、もう終わってくれ」と思うとき、過去も未来もずっと暗いままだという謎の確信がある。精神に不具合が生じているのに自分では正常だと思っているのは、端的に言ってヤバい。よく死ななかったものだなと思う。

双極性障害

世界が明るくなったり暗くなったりするのが病気なのかどうか、何の病気なのか、というところには、世界の明度の最高値と、明るい期間と暗い期間の長さがかかわってくる。

言い換えると、気分の浮き沈みの高低と周期により、困りの程度や種類が違い、違う病名がつくみたい。自分でなんとかできる程度なら病気ではないが、なんとかできる程度じゃないなら、双極性障害(昔は躁鬱病と呼ばれたもの)のⅠ型、Ⅱ型、気分循環性障害か、あるいは気分が沈む一方なら うつ病…というような。頭の中のメカニズムにも違いがあり、双極性障害の人がうつ病のお薬を飲むとマズいことになる場合もあるらしく、気分の不具合にも色々ありそう。

ぼくは医者ではないし他の人がどうなのかもわからないので、 双極性障害 - 10. 心の健康問題 - MSDマニュアル家庭版 などを参照するか、専門家に相談するかしてほしい。

ちなみにぼくが炭酸リチウムを処方されたときは、医者に「双極性障害ってほどじゃないですけどね、それの軽い版です」みたいなことを言われた。精神科の医者は病名をはっきり言わないがちだよな。(総称文)

世界の明暗と注意欠如

ADHD系の注意欠如や衝動も、世界が明るいときは「特に問題なく共存していけるかな」と思える。一方で、世界が暗いときは「もう無理だ、こんな扱いにくい脳みそでは生きていけない」と感じる。

大学生の頃に表面化したADHD系の困りごとを10年ぐらい自分で抱え込んでいたのは、「専門家に相談したほうがいい」と「しなくても平気だ」の間を行ったり来たりしていたことも背景にある。ぼくの中では世界の明暗とADHDが絡み合っていて、分離するのが難しい。

ADHDがある人は、ADHDがない人よりも双極性障害を持つ割合が高いらしい。よくわかんないけど何か関連しているところがあるのかもしれない。

大学生の頃、10年ぐらい経過した今でも傷跡が残っている程度の自傷を何度かしたことがある。切ったら頭がスッキリするかと思ったんだよね。血が出てくると冷静になるというのはたしかにあったが、根本的な解決になるものでは全くない。当時は何が何だかわかっていなかったが、世界の暗さと頭の中の散らかりに耐えられず、必死で逃げ道を模索していたんだろうなと今では思う。

 

ここでおすすめ本の紹介です。

巻末に便利グッズの商品名リストまである、ガチなライフハック本。よくある「発達障害を理解しよう」「傷の舐め合い」「そんな工夫できるならそもそも苦労してねえよ」というような本とは違って、この本では具体的かつ実践可能なライフハックが書かれている。著者も双極性障害erで、うつの時期を生き抜くハックも書かれているから、発達に関する不具合だけでなく気分に関する不具合のある人にもオススメだ。家族にあげちゃったので今手元にないんだけど、ぼくはひととおり読んで「本質ボックス」とか実践した。

炭酸リチウム

世界が明るくなったり暗くなったりする気分の不具合は、脳内神経伝達物質のバランスにより引き起こされるので、お薬が効くっぽい。

炭酸リチウムって理科の教科書に載ってそうなぐらい単純な物質だよね。お薬ってややこしい名前の複雑な物質が多いから、こんな単純なものが頭の中に効くの?と思ってしまう。

しかしなんと、炭酸リチウムを飲み始めてから、死ぬことが頭をよぎらなくなった。そういえば最近しにたみに襲われてないな!?と気づいたときは驚いた。効くってことじゃん。ふしぎ。

世界の暗さが死を考えるほどではなくなった一方で、世界の明るさもクラクラするほどではなくなった。明るいぶんにはいいと思うんだけどね、世界。

※これはぼくの躁の波高が比較的低いからであり、波高が高い人は、デカい借金したり、暴れたり… といったトラブルが起きてしまうことがあるらしいから、明るい世界が良いとは一概には言えない。

 

現在、ぼくは炭酸リチウムを(しばしば忘れるが)朝夕200mgずつ(1日で400mg)飲んでいる。炭酸リチウムはちょっと面倒な薬で、通院のとき時々血液検査をする。ちなみに妊娠する可能性のある人は飲めなかったり、ロキソニンとあわせるとマズい場合もあるらしい。(心配があったらお医者さんに相談しましょう)

炭酸リチウムを飲んで、世界が明るくなったり暗くなったりするのは以前よりマイルドになったものの、まだ続いている。何も食べる気がなく風呂にも入れない日は最近でもあるので、炭酸リチウムの量が足りていない疑いがあり、今後増量されるかも?という現状である。

同じ世界を見ているのか?

「世界が明るくなったり暗くなったりする」というのは主観であり、『実際の世界の明るさ』は変わっていないのでは?というのは、哲学的な問いかもしれない。が、日常の具体的な存在の話をしよう。進捗の存在について。

@xiPJ: ふと冷静になって考えてみると「進捗が生成できなくてつらい」のつらみというのは、ぼくの場合、しんどい気分を知覚した後に原因を探して進捗がないせいだと結論していることが多いように思える。その推論は正しいのだろうか?

研究のようにある程度自力で推し進める必要のあることをやっていると、「進捗がある」「進捗がない」という気分が出てくるよね。自力で推し進めるとこが比較的少ない仕事でも、「今日はうまくいったな」「今日は散々だったな」という気分があると思う。

PCの画面に表示されている文字数が増えるか、ToDoリストの✅が増えるとか、そういうのが客観的な進捗と思えるけど、それ以外にも、何か複雑なことが理解できたとか、頭の中に地図が完成したみたいな、外からは見えない進捗もあるから、客観は難しい。

世界が暗いときに「人生詰んだ。何をやっても上手くいかない、進捗もない」と感じ、世界が明るいときには「人生楽しい。全てはどうにかなるので進捗なんてどうだっていい」と感じることが(上で書いた「注意欠如のある扱いにくい脳みそで生きていけるのかどうか」も似たようなものだが、)日によって、または、お薬で変わってしまうとわかると、世界観が揺らぐ。

今日の進捗や自分の能力にはリアルな実体なんてなくて、神経伝達物質のバランスがちょっと変わったら消えてしまうような幻なんじゃないか?と思う。まあこれは「そうかもね」と思う人も多い話かもしれない。

@xiPJ: 理解のある彼くん「幸せは脳内伝達物質のバランスで決まるから、お薬飲もうね」

 

じゃあもっとリアルな実体がありそうな、道端に咲いている花はどうだろうか。道端に咲いている花、ぼくは明るい青のやつ、ツユクサが好きだ。「美しいもの」というカテゴリにツユクサが入っているとする。世界が暗くなり「美しいもの」というカテゴリが消滅したとき、先週見たツユクサと今見ているツユクサは同じものなのだろうか?

そう考えていくと、我々は、同じものを見て同じように感じているつもりだが、実はそうじゃないなと思えてくる。他人の目と頭で世界を見ることができないから、確かめようがないが。自分のことですら、先週の記憶は、今の頭を通してでなければ見れないので。

ぼくはこういうことを考えるのが好きだ。世界を理解したい。世界を理解しようとしているのか、自分の頭を理解しようとしているのか、わからなくなるけれど。

 

自分が見ている世界がどのようであるかを書くことで、ほかの人が自身やほかの人を理解する助けになるといいなと思う。

そして、同じものを見て同じように感じているわけじゃないことは、自分ひとりでは解決できない問題が、他人の力を借りれば解決できる可能性があるということでもあると思う。そういうところに希望を感じている。

なんかいい感じにまとめようとしてるけどさ、その「希望」ってのも、今までの話の流れからすると、幻なんだよね?

追記:ほかのひとたちの世界

今回の記事にTwitterで寄せられた感想。

 

これはぼくが使ってる自転車用フロントライト、明るくなろう。