アイソモカ

知の遊牧民の開発記録

自分にしかできないこと(などない)

修士のとき、プログラミングぜんぜんできなくて、共同研究チームのC++つよつよ勢が整えてくれた解析ツールをちょこっといじれるかな〜程度しかなく、私は先輩の劣化版… いや10分の1もできましぇん… みたいな感じで、かといって物理の難しい理論も分からないしで、「自分にしかできないこと」なんて何もなく、自分の価値みたいなものを見失っていた。
(まあ修士課程も訓練期間であり、できないことはたくさんあるわけだが、C++は本当に難しくて、来年にはつよつよ勢の仲間入りするぞという見通しも感じられなかったんだよな)

そんなとき、当時の指導教官が「実験データにこのような条件をかけて図を書いて」とちょくちょく頼んできては「ピジェさんがいなければ、私は自分のデータすら見れないんですよ(およおよ)」と、頼りにしてくれていた。またまたぁ〜そんなんやろうと思えばすぐできるでしょ(なにせベテランの実験物理屋なのだ、昔はパンチカードかFORTRANか何か知らないが、ごりごりデータ解析していたに違いない)。

もしかしたら、練習させようとして頼んだのかもしれないし、単に私が学生で、(共同研究先のつよつよ勢は毎日顔を合わせるわけではないわけで、)頼みやすかったからかもしれないとも思う。理由が何であれ、頼りにしてもらえたことは、当時の私にとってめちゃくちゃ大きかった。

そして次第になんとなく、考えが変わってきた。能力(技術力や理解力)、具体的には「プログラミングがどれくらいできるか」「理論をどれくらい理解しているか」といったことは、研究でたしかに重要だ。もっと言えば飯を食っていく上でも。しかし、重要なのはそれだけではなかった。共同研究プロジェクトには私の分け前があり、指導教官は「これはピジェさんのデータですからね」とことあるごとに強調していた。そして私は指導教官にとって、頼み事をしやすい場所にいた。

私の価値?のようなものを考えるとき、あるいは私が必要とされる理由は、私の「頭の良さ」的なものだけではない。「何ができるか」には「ちょうどそこにいた」とか、「それを割り当てられた/引き受けた」「やろうと思った」とかいうことも含まれていて、なんかそういう色々が私が必要とされる理由を構成しているんだと思う。

極端な話、誰も私を必要としなかったとしても、私は私を必要としており、こいつを食わせてやらなきゃならねえんだよな。(AIに仕事奪った金で養われたい。

AIの「能力」が高まるにつれて、少なくない人々が「自分(人間)にしかできないこと」が減っていくのを危機的に感じているっぽいのを見て、思い出した話。