アイソモカ

知の遊牧民の開発記録

鳥、シンプルな悲しみ

悲しみ四部作、その1です。
おすすめ本の紹介を追記しました。

ピジェベント Advent Calendar 2022 - Adventar 3日目

先週のある日、深夜になって、夕方に行った買い物の際に落とし物をしたことに気づいた。
エコバッグをまとめるのに使っていたゴムで、髪をまとめるようなゴムの輪っかに、鳥の飾りがついているものだ。数年前に 国立民族学博物館 のミュージアムショップで購入したもので、鳥は金属製の七宝焼に似た、お茶目な顔で、どこかの民族の赤と青と水色の派手な色合い。同じものは世界のどこにもないかもしれない。

買い物先のひとつは深夜でも開いていたので、電話してみたが、ないとのことだった。少しの間、探しに行くかどうか悩んだ。道が暗い中で探すのは無理なのでは? 早いほうがよいのでは?
結局、買い物の行き来で通った道を探しに行ってみたが、見当たらずに帰ってきた。帰ってきて家にあったら「青い鳥」的な展開だと思ったけど、なかった。

悲しい。

悲しい。シンプルに「悲しい」という悲しみの表現を共同研究者が時々使っていて、アッそういう言いかたがあるんだ…… と気づいたことがある。ごちゃごちゃとことばを重ねがちだが、悲しいときは悲しいんだよねと思った。

そのあと2時間ぐらい悲しみに包まれながら(「呆然としていた」とも言えるだろう)Twitterとネットサーフィンをやり、ようやくシャワーを浴びた。悲しみ始めてから次の行動へ移るためには、時間が要るということもあるんだよな、と気づいた。

これは、シンプルな悲しみの経験だった。

シンプルでない悲しみもある。
たとえば、頑張って作った報告資料を持ってミーティングに行ったら、「何言ってるかわからない」とボロクソに言われた後。悲しいんだけど、それ以上に「なんかもっと上手くやりたかった」という悔しさがあり、「怒られた後は、悲しい顔で、次に活かせるよう取り組まなければならない」と自分に言い聞かせるような状況だ。

私の人生において、物がなくなることはしょっちゅうある。たいていは(たとえばいつ開けたのかわからない目薬が、いつ着たのか覚えていない上着のポケットから)しばらくすると出てくるが、出てこないこともあり、ある程度は仕方ないことだと分かっている。だから、最初に述べた、鳥を失った件は、私のなかでは比較的「命あるものはいつか死ぬ」に近い。「物はいつかなくなる」というような自然の摂理に向き合う、シンプルな悲しみだった。

しかし、怒られ後の悲しみは、ちょっと違う気がする。「悲しみ刑」と表現できるような、自分に「悲しい気持ちでいなさい」という刑罰を与えるものだ。反省し、次に活かしなさいというような側面がある。

悲しみ刑、結構まずいんだよな。という話を、悲しみ四部作の2記事目に書く。
鳥を失ったあと、シャワーを浴びながら悲しみについて考え、悲しみの解像度が上がった気がした。

追記:おすすめ本 広瀬浩二郎「目に見えない世界を歩く」(平凡社新書) の紹介です。
著者は、国立民族学博物館(通称「みんぱく」)の研究者。「目が見えない人は、目に見えない世界を知っている」という、触る文化の話が面白かったです。我々、目が見える人って見て満足しがちで、なかなか触らないんだよなぁ!触ってわかる世界というのがあるのだ… と気づきました。
この本を読んでみんぱくに行くと、展示がより楽しめるはずです。物理書籍を買うと、表紙に点字がついていて、触ることができるよ。