悲しみ四部作、その2です。
ピジェベント Advent Calendar 2022 - Adventar 6日目
1記事目では、鳥を失った悲しみについて書きました。
「できなかったな、ああ、できなかった」
先日のポッドキャスト(あらB.fm Ep.77 Attention is Potsticker)で、じくさん(@zeeksphere)と、「注意の貼り付き」などについて話したときに、自罰的な感情を持つことについても話した。きっかけは、じくさんのツイート。
「自分に厳しく」という美徳を「自罰的な感情を持つ」という形で体現しつづけたところ、どうやらそうじゃないということに気づきましたが、それまでがあまりにも長かった(が、遅すぎることもないと信じる) 2022/11/11 22:43 Twitter @zeeksphere
「自分に厳しく」という美徳を「自罰的な感情を持つ」という形で体現しつづけたところ、どうやらそうじゃないということに気づきましたが、それまでがあまりにも長かった(が、遅すぎることもないと信じる)
— zeeksphere (@zeeksphere) 2022年11月11日
「自分に厳しく」という美徳がある。
どういうことかというと、自分に厳しくしていると、何か行動に移せるはずで、自分にいい影響があるはずなんですよね。たとえば「アイス食べるのを我慢したら太りませんよ」「サボらず続けて、いい習慣を作りましょう」というように。
でも、「自分に厳しく」を、じくさんは「できなかったな、ああ、できなかった……」と、いう気持ちで実践しがちだったと言っていた。「叱られた人は、やるよね(だから、やるために、叱る)」という根拠がある気がするが、実は、自罰感情は人の行動を抑制してしまう。合目的ではなかったのだ。
まあ、いつもそこまで考えて自分を叱っていたわけではないんだけど、「自分に厳しく」というのは良いことだよね〜、という思い込みがあった。失敗してヘラヘラしていると怒られが発生するというのもあるし、「悲しい気持ちになっていれば、ミスを忘れないはず、ミスを忘れずに次につなげよ、事の重大性を思えよ」と思っていた。
私にもそういうのある。しかも、「悪いことをしたら、罰されなければならない」みたいな道徳観念もあると思う。
なんだけど!悲しい気持ちになっても、ミスは減らないんだよね。
それに、悲しい気持ちになると、動けなくなる。悲しい気持ちになる習慣ができてしまうと、何もない時にも悲しい気持ちになったりする。
悲しくなってもミスが減らないなら、ヘラヘラしててミスが減らないほうがマシかも。
そもそも、自分にも、他人にも、そもそも「人に厳しくする」ってどうなの???と思い始めた。大事なのは、行動することのはずだ。
……というような話をしていた。
悲しみ刑
自罰的になって、1記事目で書いたように自分を「悲しみ刑」に処することがある。
しかし、怒られ後の悲しみは、ちょっと違う気がする。「悲しみ刑」と表現できるような、自分に「悲しい気持ちでいなさい」という刑罰を与えるものだ。反省し、次に活かしなさいというような側面がある。 鳥、シンプルな悲しみ - アイソモカ
自分を「悲しみ刑」に処することは、報告資料の出来が良くなることには直結しない。必要なのは、刑罰ではなく、課題を見つけ解決することのはずだ。だから、「悲しみ刑」は、廃止したほうがいい。
実際、私は怒られが発生したミーティング後、資料の修正なり他の仕事なりに着手するまで、かなりの時間がかかっているから、「悲しみ刑」が仕事に良い影響があるとは言えない。
しかし、鳥が見つからずに帰宅してからシャワーを浴びるまでにも、同じように、回復に時間がかかったではないか。鳥を失った悲しみは、「悲しみ刑」ではなかったのに。
これらの事象を比較してみて、考えた。
おそらく、頑張って準備して行ったミーティングでボロクソに言われたあと、悲しいのは本当なのだ。シンプルな悲しみが少しあり、回復にはちょっと時間が必要なのかもしれない。だけど、その悲しい気持ちを増幅させて「罰を与えれば何か改善するだろう」と利用しているように思える。その必要はない。さらに、時には、「ダメな子はご飯抜きね」を正当化するまで、「悲しみ刑」を引き延ばしてしまう。それも、たぶんダメだ。一方で、シンプルな悲しみをないことにするのも、たぶん難しいだろうし、そうする必要もない。悲しみは、悲しみとして扱えばよい。そして、必要な時間が経過したあと、心のアーカイヴに保存しよう。
鳥を失ったシンプルな悲しみは、自分をすっぽり包んでいたが、ある程度は手に取ることにできるものへと変わってきた。そしてシャワーを浴びながら「悲しみ刑」と、「命あるものはいつか死ぬ」ということ、「物はいつかなくなる」ということ、そのような仕方なさで悲しみに向き合うことについて考えていた。
悲しみ四部作、次回の3記事目では、「物はいつかなくなる」という仕方なさとの付き合い方を考える。
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