アイソモカ

知の遊牧民の開発記録

なんで怒ってるか分かる?

他者の心を推論する話で思い出した、ぼくが小学校3年か4年生くらいの頃、音楽の先生が怒ったときの話。

音楽の授業で音楽室に移動して、授業の始まりのチャイムが鳴ってもみんなわちゃわちゃしてた。そうしたら音楽の先生が怒り出して、

「今日は授業はもうやりません。先生がなんで怒っているのか分かった人から教室に戻りなさい」

みたいなことを言った。みんなスンと静まり返って下を向いて、教科書の表紙や木の床を見ていた。

誰も教室に戻らない。

いや、なんで怒ってるって、そりゃチャイム鳴っても席につかずにうるさくしていたからだろ?みんなそれ分からないくらいバカなの?先生は今日は授業やらないって言ってるし、この空間メッチャ居心地悪いし… って思って、ぼくはひとり席を立って教室に戻った。

ひとりきりの教室で本を読んでいたら、ポツポツとクラスメイトたちが戻ってきて、そうこうしているうちに休み時間になった。

なんでみんな教室に戻らなかったのか。 「他人と違う行動をするのは勇気が要るから、まあぼくは勇気あるタイプなんだけどね」みたいな武勇伝(?)としてかなり濃く記憶に残っていて、「たぶん先生がなんで怒ってるか分かってる人もいたけど、みんな下を向いてじっとしてたら、誰かが立つのを待っちゃうのは仕方ないか〜」とか思っていた。しかし、「そうではないのでわ?」と、20年後のさっき、ひらめいた。

帰れって言われてマジで帰る奴、アスぺっぽい。

このときの"正解"は、教室に戻ることではなかったのかもしれない。 たぶん、"正解"は、「先生、うるさくしてごめんなさい、今度からはチャイムが鳴ったら静かに席に着きます。授業を始めてください、お願いします」みたいに謝ることだったんだろうな、と、ようやく推論できた。ぼくは今、当時の音楽の先生と同じくらいの年齢だろうか。いや、先生のほうが若かったのかも。

すぐに教室に戻らなかったクラスメイトたちのなかには、謝ろうとしていた人もいたのだろうか。(そういうの、小学校3,4年生はどれくらいできるんだろうね)

他者の心を推論するの、「なぜ怒っているのか」のような過去方向への推論よりも、「どう行動してほしい/何を言ってほしいのか」のような未来方向への推論のほうが難しそうな気がする。

👆自閉症スペクトラムerのフォロワ氏が「的を得ているところがある」「感想話す会したい」って言ってた本、ちょっとだけ読み始めた。