アイソモカ

知の遊牧民の開発記録

犬、悲しみは悲しみです

悲しみ四部作、その4です。
アーカイヴされた悲しみを取り出して解釈し、記述する話。

ピジェベント Advent Calendar 2022 - Adventar 11日目

悲しみ四部作の1〜3では、鳥を失った悲しみ、悲しみ刑、見せる悲しみについて書いた。

isomocha.hatenablog.com

isomocha.hatenablog.com

isomocha.hatenablog.com

小学校高学年のとき、家にいた犬が死んだ。

物心ついたときにはすでに家にいた、室内飼いのラブラドールレトリバー(大型犬)だ。賢く物静かで、幼少期の私が上に乗ったり、体のあちこちを押したり引っ張ったりしても嫌がらない、姉のような存在だった。おもちゃを体の周りや体の周りに並べたり、公園で一緒に走り回ったり、いろんな遊びに付き合ってくれた。
彼女は、たぶん12歳ぐらいの高齢になったとき、病気にかかった。手術をしたが再発し、(当時小学生だった私には病名はわからなかったが)病気が進行して、最終的に動けなくなった。痛そうで苦しそうだった。トイレに行くこともままならないし、病気のせいで臭いもする。家の裏口の外に家族が小屋をつくり、暖房器具を設置し、晩年は(年というほど長くなかったかもしれないが)そこで過ごしていた。家の外で、寒そうな、寂しそうな場所。囲いと毛布と暖房器具がいくらあっても、北関東の冬は凍みる。

そして、冬のある朝、彼女が死んでいるのを家族が見つけた。家族みんな、悲しんだ。大泣きしていた。だが、私は泣けなかった。悲しくなかった。もう、痛くも寒くも寂しくもないのだ、「ああ、やっと、もう苦しまなくて済む場所へ行ったんだね、よかったね」と、安心したからだ。しかし、悲しむ家族を見て「彼女を亡くしたことを悲しまないのはまずい」と焦り、とにかく悲しい顔をつくろうとした。人間たちに見せるための悲しみだ。死に際して泣けない自分は、どうしようもなく冷たい何かなのではないか、と、罪悪感をもち、安心したことについては黙っていた。

今から考えてみると、私の悲しみは、彼女の病気が再発しもう治らないと察したとき、裏口の孤独な場所で過ごすようになったときに、すでに始まっていたのだろう。しかし、彼女を裏口の外に出したとはいえ、小屋をつくり暖房も用意して精一杯のことをした家族を責めることもできないと思っていた。やるせない悲しみ。そして、そういった悲しみは、彼女の死とともに終わったのではないだろうか。悲しみは悲しみなのだ、どのようなタイミングで現れようとも。

感情は難しい。持ち方も、内容も、質や量も、解釈したり記述したりするのが難しい。

「『胃もたれ』がわからない人に対して、胃もたれについて説明するのは難しい」と、どこかで話した。身体に関する感じを説明することさえ難しいのに、精神に関する感じを説明するのはもっと難しいのではないかと思う。
悲しみだって、難しい。自分にどんな悲しみがあるのか、あるいはないのか、自分にすらわからないことがある。だが、記憶のアーカイヴにアクセスできるのは自分だけかもしれない。

感情の解釈や記述には、悲しみ三部作1作目で言及したような、ほかの人と話すことが助けになる。 また、「マーダーボット・ダイアリー」の弊機という主人公が、ドラマを観ることについて「弊機が感じることに文脈をあたえてくれる」と書いていてなんかわかるなあと思っていたのだが、創作を見たり読んだりすることも、感情を解釈したり記述したりする助けになると思う。

小学校高学年のときには難しすぎて手に負えず、罪悪感とともにアーカイヴに隠した悲しみを、20年ぐらい経った今、取り出して解釈し記述できるようになった。

12月某日、「秘密の質問」の答えなので名前を書いてはいけないあの犬、彼女の命日が近い。

悲しみ四部作、おしまい。

「弊機が感じることに文脈をあたえてくれる」は、下巻。そのうちマーダーボット・ダイアリーおすすめ記事を書かなくては。